時に。とてもすごい真理だ、これは大発見だ、と、毎日している自己問答の中での革命があっても。
例えば大学時代の友人が結婚したとか、
高校の頃の友達が思い切って職を変えたんだとか、
普段できない事を思い切ってやったんだとか、
そういう話を聞いたりすると、
本当にそれは素晴らしくて、鮮やかな話で、それは掴みとった幸せだと賞賛しまくりたいと共に、
僕の考えて、やっている事は、本当に目に見えないものだということを再認識する。
自分の考えている物事を、音と一緒に発表する、というように言うとやはり、とても変わった職業の様に思える。
掴みどころがない、それはソールドアウトの会場を埋め尽くしたお客さんに洗われた翌朝、泡のように消えたお客さんを自宅の布団の上で捜すかのようだ。
ここ数日は、ライブもなく、それこそ泡のような時間だ。次の作品は僕やみんなにとって新しい歌にしたい、そんな事を考えながら悶々としている。
新しい取り組みはいつも、自分がいつでも無力である事を教えてくれる。
何かやれるからやっているのではないのだ。やらなくてはならない、もしくは自分がわずかに見出した自己実現の希望を、追いかけるのみなのだ。
ライブから離れると、オフシーズンのスポーツ選手のように毎日、身体がなまったり、老いていないかが気になる。
常に走っていたいのだ。
ただそれは、馬車馬のように脚を動かしている間は、全てを忘れられたり次の出方を伺ったり、大きな思考をしなくて済むからなのかもしれない。
だから逆に今は、考えなくて済んでいた、いや先送りにしていた新しい自分の事を考えなくてはならない時間なのだと思い、向き合おうと思っている。
僕達に新しい一歩を、新しい歌を作るんだ。
曲を作ってライブをする人間は、文化系なのか、体育会系なのか、凡人なのか、天才なのか、その点も実に曖昧だ。
その狭間で、消し飛びそうになる。
だけど、塵にも劣る目に見えない発見を飾り紙で美しく包んで、愛する皆さまにお届けする。
次のライブまでにまた体を作って、心を、笑顔を作って、望まないとなって。最近は毎日そうして起きたての顔を引っ叩いて、考えてる。
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- 2015/05/08(金) 23:48:33|
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