今になってやっと、いっちょまえに、自分の手の届かない場所まで心配するになった。
以前は「今目の前にない物は存在しないのと同じ」って位の感覚で、当たり前に持つべき感謝とか共感の感情が薄すぎて人として終わっていたんだよね。まず何をするにも、自分がそんな事をするなんて、そんな事を思うなんておこがましいって、事ばかりだったから。今だって心配するなんておこがましいしうっとおしいと思われるだろうと思っているけど。それでも心配するだけの、感謝の念が生まれているんだと思う。
心配じゃ、腹も膨れないし、喉も潤わないし、怪我も治らない。こっちで僕は待っているよ、とか、心の元気がどうだって言いながら自己主張したいだけ、とか。きっとね、現場では、必要なものしか要らないよ。対岸でどんなに語っても、必要なものしか要らないんです。
心配ができるタマになったんなら、次は具体的な行動が出来るタマになる事だね。大っきな赤ちゃんの僕はもっと頑張ろうと思います。
こんな時にだって、人を馬鹿にしたり言葉尻だけで人の上に立とうとしたり、そうは言っても生きづらいんですとかいって死のうとしたりする人がいる。人の心配ができるようになった僕としては、こんな夜くらい、黙って寝るべきだと、思います。出来る事なんて、それくらい。もっと言えばこんな僕にも出来る事があるんだ!と涙を流して感動してもいい位の事かもしれない。
それ位に、今僕に出来る事は、ありません。
それを悔しいと思っている事さえ、当事者にとっては何の足しにもならない事である為、外へ広がることの無いこの枯れきった終着駅に。
例えばこの記事をリンクでツイートとかしないで欲しい。これは是非見せたい!きっと喜ぶ!とかそういうのも全部、本当は元々自分のエゴだ。歌いたい!だって、全部そうだ。全部が全部エゴなんだ。それが時に優しさで、それが時に凶器で、時と場所と受ける人で変わってしまう。大丈夫?とか、気をつけてね、とかも、普段は嬉しくても、傷ついている時は、まぁ私は関係ない所に居るけどね、と、感じさせる言葉になってしまうから。だからSNSとか、勝手に立ちのぼる夏の匂いみたいに避けられない場所に、主観で書いた記事を晒さないで欲しい。読みたいと思った人が読むだけでいいから。
話す言葉や今欲しいものが、ちゃんと伝え合えるのは、肌に触れられるのは、結局目の前だけ。
まず目の前にある物を、大切にする。
そしてその先でまた絶対に会おうね。
会いたいね。きっとこの気持ちこそ、力の源になるから。
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- 2018/06/19(火) 04:00:01|
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