離れた車道を走る音が、窓から入ってくる。
この時間に走ってる車はどんな目的を持ってどこへ向かっているんだろう、一台一台引き止めて問いかけてみたい。
そして、淡い期待を裏切る思った通りの答えを聞いて、小さな部屋へ戻ってくるんだろうか。知らなくて良いこともこの世にはあるんだろうか。
7月8月は、次の作品集へ向けて歌を。
一人になって考える時間を、圧倒的に増やしたい。
今でも思い出す実家近くの公園での作曲は、なんと自由で、苦しいものだったろうか。本当に辛い気持ちや、本当に寂しい気持ちも全て歌に流し込んで作ったものだった。それは歌いたい歌、というより、歌うしかなかった歌だった。
色々あって、だいぶ大人になって、ある人の言う幸せの定義とか、悲しみの置き場も、それなりに持てるようになって、自分の作品や感情も、ある程度コントロールが効くようになってきた。
次はどんな物を作ろう?といった具合に。
例えば特にイマにおいて、「ヒット」に狙いや策を以ってして取り組まないのは、確かにおかしい。
だけど歌に至っては等身大でなければ美しくない。そして芸術の存在意義はその美しさにある。
だから、純粋な音楽で有名になろうとするのは、それ自体矛盾しているし、「商売」と似て非なる物だし、とっても難しい事だ。
だけどそれでも、作り手として純粋な物を作っていたいし、それが何よりも強く貫く瞬間を見たくて仕方がないし、歴史の真実はいつだってそうだったと信じてやまない。
いつまでも同じ所に立っていたいって言ってる訳じゃない。
結局ここまでの文章は、僕はこれまでずっと歌と二人三脚で生きてきたし、歌に利用された事も歌を利用した事もないし、これからもそうだって話だ。
僕の歌はまだ生きてるし、例えばロックンロールイズノットデッドとは、多分そういう事を指して言うんだと思う。
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- 2016/07/16(土) 04:18:55|
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